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   豆カメラについて
 
【豆カメラの概略】
豆カメラとは手のひらにのるほどの極小カメラの事で、裏紙付きの17.5ミリ幅フィルムに、14×14ミリの写真を10枚撮る事が出来ます。コレクターの間では豆カメラには大きく2つの系統があり、「Hit」に代表される比較的簡易な造りで玩具的イメージの強い「Hitタイプ」と呼ばれるものと、「マイクロ」「ミゼット」などの、機械的な造りや設計にこだわりの感じられるものに大別されます。

当サイトでは管理人が魅力を感じて止まない後者のタイプを取り上げ、紹介しています。
なお、豆カメラという呼び名は日本だけのもので、海外ではサブミニチュアカメラ、ミニチュアカメラ、スパイカメラなどと呼ばれています。「豆」というのは「極小形」の意味ですが、愛玩物という意味合いを感じる素晴らしい呼び名だと思います。

豆カメラ用のフィルムは現在は製造されていないため、自作をしない限り撮影は出来ません。ただ、自作して撮影したとしても、かけた労力に見合う結果が得られません。他のクラシックカメラと違い、撮って楽しむというより、コレクションして楽しむカメラだと言えるでしょう。

日本で最初の豆カメラは、1937年(昭和12年)に美篶商会から発売されたミゼットです。続いて1938年(昭和13年)にアース光学のグッチー、1939年(昭和14年)に三和商会のマイクロと続き、この3機種が戦前の3大豆カメラと呼ばれています。

 


【時代背景】
1930年代の日本は空前のカメラブームに沸いており、多くのカメラが輸入されていました。しかし、1937年(昭和12年)日中戦争が勃発、日本は戦時体制となり、経済統制が進められてカメラの輸入が制限されましたが、この状況は国産メーカーにとっては市場拡大の好機となり、国内需要を満たすためにカメラが増産されました。そして1939年(昭和14年)に第二次世界大戦に突入、金属材料が統制となり、カメラメーカーも軍需産業に指定されてカメラの製造どころではなくなり、1945年(昭和20年)に終戦を迎えることになります。

豆カメラブームのピークは終戦後4〜5年の間で、きちんとしたものから使い物にならない物まで、一時は50種近い種類があったそうです。その中で、戦後の混乱期にいち早く生産を再開したとされる三和商会は、競合会社が少ないこともあって「マイクロ」で快進撃を続け、一時期には日本のカメラ生産量の70%を「マイクロ」で占めたとまで言われています。生産のピーク時を支えたのは、日本を占領していた進駐軍向けのお土産やアメリカへの輸出であり、1949年(昭和24年)には年間19万台がアメリカに輸出され大金を稼いだとか。

豆カメラ産業が急速に拡大した要因としては、当時のように資材が乏しく物価高の時代では、カメラとは名ばかりの玩具程度のものなら資本や技術や知識も必要なく、簡単な工作機械で量産が可能だったことが挙げられます。当時はカメラ産業が海外のデッドコピーを恥じることなく平然と作っていた時代で、玩具程度の豆カメラのデッドコピーなどに罪悪感を持つはずもなく、「人気商品を真似れば売れる」これが実情であったのでしょう。オモチャ屋から小さな町工場までさまざまな作り手が参入することで、製品に関しては玉石混淆という結果を招いてしまいましたが、一大ブームを築き、後にはカメラメーカーをも刺激する力となった事は事実です。

安価で、小さく、可愛い、とくれば、高級カメラは買えないけれど、かねがね写真を撮りたいと思っていた層(女性や子供も含めて)に支持されるのは必然で、他のサイズのフィルムに比べ入手が容易であったこともあり、これまでのカメラユーザーにも受け入れられたのでしょう。

ブームの全盛期には、二眼レフ型や奇をてらったシャープペンシル型、ピストル型、ライター型、双眼鏡型といったものまで登場しました。しかし、このブームは長くは続かず、後半に登場した大手カメラメーカーの堅実な商品だけが生き残り、ブームの立役者だった多くの会社は消滅してしまいました。

発売当初は小型カメラとして、愛玩物のように出来るだけ愛らしく作られた、ほとんど玩具的なものでありながら、ちゃんと撮影もできることが嬉しい、という位置付けのものでしたが、やがて当時高級品だったライカ判カメラを感じさせる軍艦部を持ったスタイルへと変遷していく過程で、カメラ本来の性能や使い勝手をも求め過ぎてしまったことが、衰退を招いた原因でしょう。

時代が変わっても人間の手の大きさは変わらないわけで、小さすぎて扱いにくく機能的に無理があるものよりも、多少大きくても使いやすく性能が良いものに、人々の関心が移るのは当然です。当時、デパートなどで豆カメラで撮影した写真の展覧会が開かれていますが、展示に値する芸術作品を豆カメラで写すには、やはり無理を感じます。いずれにせよ、愛玩物として生まれた宿命を持った豆カメラは、そこから脱却できず、短命に終わる事を余儀なくされたわけです。

ブームの後半に登場した、コーナン16やミノルタ16、マミヤ16などは、和製ミノックスと呼ぶにふさわしい高いスペックを凝縮したカメラに仕上がっていますが、本来の豆カメラが持っていた、愛玩物的な要素が一切なくなり、実用一点張りとなってしまいました。愛玩と実用、ユーザーが求める高機能の共存は、今考えても難しい問題だと思います。

戦後の混乱でカメラ生産が軌道に乗らなかった一時期に、ピンチヒッターとして登場し大活躍した豆カメラもいつの間にか歴史から忘れ去られ、残念なことに今では一部のカメラコレクターを除いて知らない人がほとんどです。当時を知る方々には、豆カメラを懐かしく思い出して、また知らない若い世代には難しく考えず、現在の精巧なミニチュアの食玩などを楽しむ感覚で、かつて日本が誇った創意工夫の結晶、豆カメラの世界を知ってもらえたらと思います。

 


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